不幸の連鎖を断ち切るには、どうすればよいのだろうか。

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今年の春、海岸で休んでいたところ、可愛らしい子猫が近づいてきた。

ここの海岸は、地域の人たちが世話をしている猫たちが暮らしている。 何度か訪れているので、どんな猫がいるのかはだいたい把握しているつもりだ。

ところが、この猫、初めてみる。地域猫の象徴でもある耳がカットされていないので、捨て猫であろうか。

そして、この猫が、やけになついてくるのだ。飼い主でもない自分に。

 

人間の赤ん坊は、一人では生きていけない。 だから、どんなに酷い親であろうが、必死で好かれようと努力するらしい。

おそらくこの猫は、「愛想を振りまけば、餌を与えてくれるかもしれない。そして、もしかすると自分を飼ってくれるかもしれない。」と思って近づいてきたのだろう。

 

可愛らしい姿で懐いてこられると、何か食べさせてあげたいと思ってしまうだろう。自分も、正直迷ってしまった。

だが、安易に餌を与えるべきではない。いつかしらその場所に居着き、繁殖してしまうことありえる。そうなれば、十分な子育てが出来ず、かえって不幸な命を増やすことにも繋がる。

何かしてあげたいと思うのであれば、責任をもって保護するべきなのだ。

それが出来ない自分が恨めしい。

 

飼い猫が、いきなり知らない場所へ捨てられてしまう。その怖さは、どれほどのものだろうか。

食べ物、雨風をしのぐ場所、自分で探さなければならない。

病気になることもある。その時はどうれば良いのだろうか。

子猫はさらに大変だ。カラスが力の弱い子猫を襲うことが、度々あるらしい。 生きる術を知らない捨て猫が、満足に生きられる可能性は低い。

 

こうした不幸を生み出したのは、当然、飼い猫を捨てた人間である。 捨て猫の過酷な生活を想像することができないできないのか。

そして、捨て猫に餌を与えることも、罪である。善かれと思っても無責任に餌を与えることが、不幸の連鎖を生み出しかねないことを認識するべきだ。

 

 

 

 

蝶と蛾を区分すること

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世界には18,000から20,000種類の蝶が、そして日本には25種類の蝶が生息している。

仙台市のカメイ美術館には、同美術館を運営する財団法人の設立代表者、故亀井文蔵が60年以上にわたって収集してきた蝶が展示されている。

 

モンシロチョウといった身近な蝶から、羽ばたく姿が鳥のようであると名づけられたトリバネチョウ、また世界で最も美しいと言われ、全身が青々と輝いているように見えるモルフォ蝶等。

フロアいっぱいに計14,000頭の蝶が展示されている光景は圧巻である。 ここを訪れたことのない人であれば、是非とも訪れてほしい。

 

ところで、蝶は美しいイメージがあるが、中にはフクロウ蝶など、とても綺麗な姿をしていない蝶も存在する。

まるで蛾のような姿だ。

 

昔から、疑問に思っていたのだが、そもそも、蝶と蛾の違いとは何なのだろうか。

ちゃんと館内の説明に書いてあった。

「蝶と蛾に、絶対的な区別はなく両方とも同じ鱗翅目の仲間であり、その区別の仕方には所説があると。」

結論を言えば、なんとなく見た目で勝手に人間が分類しているだけのようだ。

 

蝶と蛾に分類されること、それは単純に呼称を分類されるにとどまらない。

人間は蝶を好むが、蛾は忌み嫌う傾向があるのだ。

 

詳細も知らずに区分された事柄を一方的に判断してしまう。そんなことをしていないだろうか?

フロアの隅に展示されていた蛾を見ながら、ふとそう思ってしまった。